市民の憩いの場 花の社「千里山神社」

2020年7月18日公開

千里山の氏神さん(守り神)として親しまれている千里山神社、通称「お稲荷さん」について、普段から手入れをしておられる千三地区連合自治会長の藤木祐輔さんに詳しく紹介していただきました。
千里山のパワースポット️「千里山神社」に一度足を運んでみてください。(取材担当企画運営委員:山﨑洋子)

千三地区地域活動協議会理事長
千三地区連合自治会 会長
 藤木 祐輔 氏

平安、鎌倉時代の昔より、貴族が詠んだ和歌に「寝山」と云う地名があり、これが千里山の旧名と称されています。近世大阪市郊外北部の地(当時は桃、みかんなどの果樹園や竹藪、松林、畑地が点在する丘陵)にイギリスの田園都市レッチワースをモデルにした、日本では東京の田園調布と並んで最初の大都市周辺の住宅建設の槌音がこだましたのは、大正9年(1920年)丁度100年前のことでした。大正13年には早くも約100世帯の入居があり、小規模ながら新しい街が誕生しました。
この開発ディベロッパは北大阪電鉄(後に新京阪鉄道株式会社、現在の阪急電鉄株式会社)で、今でいう京阪電車です。当時の風習や社会的状況からして、新しい集落ができれば村や町のシンボルとして鎮守の森や神社を創建するのが通例でした。大正15年に京阪沿線の伏見稲荷から「倉稲魂神 ― うかのみたまのかみ」を勧請され併せて旧来から祀られていた「竜王さま」と併せて祭神とされました。これが千里山神社のルーツにあたります。
その後、昭和3年に第一次開発計画が完了し、住宅戸数は400戸に達しています。街の発展とともにそれに相応する氏神様をと住民要望から、もともとこの地(佐井寺)の氏神である「伊射奈岐命 ― いざなぎのみこと」を合祀することになり、現在に至っております。この神社は宗教や信仰からの発祥ではなく、市民憩いの場で誰もがリラックスできて息抜きし楽しめる場所です。境内に多くの花木があります。「梅、桜、椿、雪柳、くちなし、さつき、つつじ、あじさい、水仙、紫蘭等々年中華やかです。
ぜひ一度ご来場ください。お待ちしております。

つれて行 寝山もしらぬ白鳥の さきのよも うき身の契り哉
            藤原行家  夫木集(ふぼくしゅう)より